日本の金継という伝統工芸

知識

ご縁があって日本の伝統工芸に携わっている工房や方々とお仕事をさせていただく機会が増えてきたこの頃。いま職人の皆さんが持つ想いや悩みを、自身の目を通して感じたことを書き綴りたい。

SDGsという言葉を頻繁に耳にするようになるずいぶんと前から、器などを大切に使い次につないでいくための方法として「金継ぎ」という技法は日本に存在した。最近はお教室なども増えてきて、ちょっとしたブームになっている。今回、器に関わる仕事をしていたにも関わらず、金継ぎの種類、技法のすばらしさとそれゆえの苦悩を、理解していなかったということをガツンと思い知らせてくれた。

ご存じの方ももちろんいらっしゃるだろうし、「金継ぎとはなんぞや」を語るつもりは毛頭ない。だからお話を聞いて自分が理解したことをここには書きたい。間違ってることもあると思うけれど、そこは温かい目で見守っていただけるとうれしい。

お話をお聞かせいただいたのは、京都にある工房。修復をされる方はもはや「先生」と呼ぶべき経歴の方。もともと寺社仏閣の修復をされていた方が、どうして文化財修復から金継ぎへと方向転換されたのか。氏いわく、日本の文化財修復の技術というのは非常に高く、その技術をもってすれば、生活文化に息づくモノで、本来なら「修復不可能」と言われているものも、修復できるものがたくさんあるのだそう。そういった私たちの周りをとりまく生活用品を修復して、長く使っていくことを知り、その価値を体感してもらうことにより、金継ぎをはじめとする修復技術をもっと身近に感じてほしい、ということが理由の一つだそう。

そう思われた背景には、素材である「漆」をはじめとする伝統工芸品のために必要なモノたちを取り巻く厳しい現実があるから。

まず修復に必要な漆。1本の漆の木を、漆が取れるまでに育てるのに何年かかるか皆さんご存じだろうか。なんと10年。ではその10年かかって育てた漆の木からとれる期間と量はどれくらいなのか。採れるのはたったの1年、しかも湿度が高い時が好ましいため時期的に6~10カ月と非常に短い。その数カ月間、漆の木から漆をいただき、そののちすぐに伐採し、新たな漆の木を植林するのだ。

日本は漆の掻き方が独特で、漆カンナを使って掻いていく。

画像1

ご覧の通り、下が短く上になるにつれて長い掻き傷になる。下から上に向かって少しずつ掻いていくのだ。これは最初からめいっぱい掻いてしまうと、漆が一生懸命その大きな傷を治そうとして、次の傷の時に漆をあまり出さなくなってしまうそうだ。

だから、最初は小さなひっかき傷程度からはじめて、上にいくにつれて大きく掻いていく。日本では、漆の木の、私たちのいういわば「静脈や動脈」くらい生命保存に関わるところを掻く。木が枯れるほどのダメージを与えてしまうため、採られる漆は「血の一滴」と呼ばれ、その技術も「殺し掻き」とすごい名称がついている。聞いたときには思わず驚いて目をむいてしまった。ちなみに海外では「養生掻き」という、1年のうち6月から8月の2ヶ月間のみ採取し毎年採取する、という方法で採取するらしい。

そうやって1本の木がから採れる量はたった200mlほど。一滴たりとも無駄にできない。漆の命をいただいて、漆芸という伝統工芸は成り立っているのだ。

そんな貴重な材料である国産の漆だが、現在市場にはほぼ出回らない。国産の漆自体が減少しているためもともとの採取量が極めて少量であることや、決まった機関や事業所が8~9割を押さえてしまっていること、掻き職人の後継者がいないこと、全国で漆の採取をするところが数か所しか残っていないことが大きな原因。

生活文化の中で、本当の意味での「日本伝統工芸としての漆芸」を継続していくことは非常に難しくなっている。なので金継ぎも海外の漆を使うところも多いらしい。

また「金継ぎ」といってもさまざまな種類があり、比較的リーズナブルな価格での技術は「簡易金継ぎ」と呼ばれるものらしい。これは漆に似せた接着剤を使って修復するため、使用していると、やはり傷んでくる可能性もあるらしい。その点、漆、それも国産の漆を使うと、”もち”が違うのだという。漆は防水、防腐、酸アルカリにも強いという特徴があり、それゆえ日本では江戸時代から漆を使った修復が続いてきた。この江戸時代から脈々と続く技術をもって正しいやり方で修復を行うと、100年でも200年でも長持ちする。それゆえに、寺社仏閣でもこの技法が使われている。

余談だが、お正月のおせち料理。漆の重箱に入れるとよい、とされている。これも、上記の漆の持つ「防腐効果」の性質がわかれば納得の根拠だ。3が日は料理をしないのがお正月(昔は)。その期間、腐らないように漆器に入れておくというのは本当に理にかなったことで、昔の人の知恵には感動すら覚えてしまう。

私たちは、残していくべきべ伝統や文化を無意識のうちに失っているのだと感じる。「日本の伝統文化をまもろう・消してはならない」と言いつつ、自分の生活文化の中にそのモノがなければ、人は無意識のうちに無関心になる。だって、それを使わなくても生活自体は成り立っていくのだから。必要性を感じなくなる、すると需要と供給のバランスが崩れ、その伝統を生業としている人々は減少し、継続していくことが非常に難しくなる。

画像2

日本の国自体が、文化保護という意識レベルが低いのではなかろうか。それは今回のコロナでも垣間見えた気がする。ヨーロッパやアメリカでは、文化活動を行う人々に対して、十分とは言えずとも一定の援助金が早い段階で給付されていたと記憶している。日本では、文化人たちが叫び続けていたにも関わらず、だいぶあとになってから、国が慌てて検討した、というイメージが私にはあって。

これは、漆芸に限ったことではなく、寺社に携わっている別の事業者からも聞いた話だが、日本の伝統工芸は見つめなおされたり注目されては来ているものの、行政や国レベルでの本当の意味での援助/保護というものは薄氷であるのだという。「失われると困る工芸/技術」であるにも関わらず、保護・継続のための予算というのが実際あまりとられていないというのが現実だという。だから結局のところ事業に携わっている方々自らが動かざるを得ないのだと。それができないのであれば、その火を消してしまうしかないのだと。

たとえば「漆芸」という大きな箱だけを私たちは見ている。けれど、その漆芸を継続させていくためには、漆の木が必要で、それを植える土地、管理するお金や人、漆を掻く人、そしてそれを買い取る受け皿など漆をとるだけでも大勢の人やモノの支援をしていかなければならない。

また漆芸をするには「道具」がいる。使われているのは竹であったり、筆の刷毛には鹿毛が最適とされている。であればその竹を伐採したり、筆のために鹿を狩る猟師も必要だ。漆芸一つにもおびただしい数の人やモノが関わっているということを知らなければならない、言われてみるとそうなのだが、「伝統工芸を残す」ということはどういうことなのか、ということを真の意味で理解していなかったということを痛感する。

関連記事一覧